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県議会の沿革

ページID:0012619 更新日:2023年11月14日 印刷ページ表示

 愛媛県の初代県令岩村高俊は、明治10年5月に愛媛県会仮規則を定め、これに基づく第1回県会が同年6月22日、第2回県会が翌11年4月に招集されました。当時、県会の開設は本県を含めて数県に過ぎず、これを特設県会と呼んでいます。

 選出された県会議員は70名(伊予国39名、讃岐国31名)で、松山中学校(旧明教館)を議場にして開会、小林信近を初代議長に選び、学資、警察費、民政賦課の議案を16日間にわたり審議しました。

元愛媛県庁舎(明治11年建築)
元愛媛県庁舎(明治11年建築)の画像

 明治11年7月、府県会規則が公布され、全国共通の第1回県会を明治12年3月20日に招集し、会期42 日で地方税歳入歳出予算や、県会議事規則などを審議しました。翌明治13年から県庁内の議事堂で開会、明治18年以降の通常県会は、会計年度変更に伴い 11~12月開催に変わりました。

 明治21年12月、香川県復活による讃岐国の分離で、愛媛県会の議員数は44名となりました。この頃から、県会議員は自由党・改進党といった党派に所属するようになり、県会議員選挙は衆議院選挙と並んで激しい選挙戦が展開されるようになりました。当時の選挙は2年毎の半数改選でした。

前愛媛県庁舎(明治41年建築)
前愛媛県庁舎(明治41年建築)の画像

 明治23年府県制が公布されましたが、本県では、その施行が明治30年になったため、それまでは従来通り府県会規則に基づく県会が開かれ、明治30年からは府県制に基づく県会が昭和22年の地方自治法施行時まで続きました。

 府県制施行による最初の県会議員選挙は、明治30年10月、郡会議員・市会議員の互選による間接選挙の形で実施されました。明治32年府県制が改正されて、この年の9月に公民による直接選挙が行われ、以降、4年毎の9月に県会議員の総選挙が実施されました。

 この時期の議員定数は35名で、その後は、人口の増減に対応して多少の是正がなされました。県会は昭和21年12月定例県会を最後として、144回開催されました。

 地方自治法に基づく戦後最初の県議会議員の選挙は、昭和22年4月30日実施され、議員定数51名に対し138名の多くが立候補しました。この新議員による第1回定例会は、同年5月22日に招集されました。

昭和23年当時の愛媛県議会議事堂
昭和23年当時の愛媛県議会議事堂の画像

前愛媛県議会議事堂(昭和33年~昭和57年)
前愛媛県議会議事堂(昭和33年~昭和57年)の画像

 地方自治法では、県議会は定例会を年6回以上開くことになっていましたが、昭和 27年8月の改正で年4回の定例会と必要に応じての臨時会に改められ、さらに定例会については昭和31年6月の改正で毎年4回以内で条例で定める回数とされました。さらに、平成16年11月10日の地方自治法の一部改正により、定例会は毎年条例で定める回数(年4回)とされました。

現在の愛媛県議会議事堂(昭和57年1月31日竣工)
現在の愛媛県議会議事堂(昭和57年1月31日竣功)


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