本文
高浜港の西約5キロメートルに浮かぶ、周囲約2.6キロメートルのひょうたんのような形が愛らしい島で、愛媛県で最初に建設された灯台があります。
江戸時代には松山藩の放牧場で、江戸末期に興居島から人が移り住んだのをはじまりに集落が形成されました。
島の大部分を占める傾斜地は、みかん、いよかん、レモンなどの絶好の耕地となっていて、整備された農道からは瀬戸内そのものの青い海と島々が見渡せます。
柑橘栽培とともにタコ漁が主力産業で、島ではたくさんのタコ壺が見られ、好漁場である島周辺は多くの釣り人が訪れます。
イギリス人R・H・ブラントンが設計・施工し、明治6年に完成した県内で一番古い洋式石造り建築物で、初代灯台長もイギリス人でした。農道を登った島の斜面中腹のみかん畑に囲まれた敷地内にあり、現在は無人化されています。大型船が多く航行する釣島海峡に、日没から日の出まで海上安全のための白と赤の光を放っています。
灯台本体と同時に建設された洋式石造り建築物で、昭和38年に灯台が無人化されるまで灯台守の宿舎として使用されていました。その後手つかずとなっていましたが、平成7年から平成9年にかけて修復整備され、現在の姿を取り戻しました。松山市有形文化財で、年3回内部が公開されます。
釣島では昭和60年まで井戸水を使っていましたが、わずかに塩味がする水であったため、平成2年より興居島から船で飲み水を運んでいました。平成14年同施設が完成し、天候に左右されることなく、いつでもおいしい飲み水が供給されるようになりました。
大正2年に興居島村立由良尋常小学校釣島分校としてスタートし、生徒数は多い時でも30人ほどの小規模校で、校門をくぐるとアーチの向こうにかわいらしい校舎、敷地内に教員用宿舎もあります。運動会・学芸会などの行事は住民総出で行われ、島の大きな楽しみでした。平成24年3月末から休校となっています。「灯台まわる光の中に ぼくもわたしも明るく学ぶ 新たな希望へほほえみ合って 明日を照らす釣島分校」と校歌に歌われています。
その昔、無人島だった釣島に流れ着いて亡くなった人たちを祭っているとも、興居島の船越和気比賣神社のわかれともいわれ、由来は定かではありませんが、はやり病から釣島を守ったと伝えられ、住民の信仰を集めています。島の東の海岸にも東の明神様と呼ばれる五十鈴神社があります。
釣島全景
港周辺にはタコ壺
小高い丘のみかん畑
航行する船と島々
農道からの海
伊予柑やみかんの畑
南には興居島
宿泊施設はありません。港前方左手に酒店と自動販売機がありますが、酒・ジュース類のみの販売で、昼食、飲料水等食品は持参が必要です。
三津浜港釣島港 大人520円 小人260円
高浜港釣島港 大人520円 小人260円
釣島行き・釣島発便とも午前午後2便ずつ。日帰り可能な便は1日1便です。
時刻表など詳しくはこちら<外部リンク>
三津浜 | 高浜 | 釣島 |
---|---|---|
9時10分 | ー | 9時35分 |
16時40分 | 16時55分 | 17時20分 |
釣島 | 高浜 | 三津浜 |
---|---|---|
8時8分 | 8時38分 | 8時50分 |
16時02分 | ー | 16時25分 |
松山での車両乗降は三津浜港のみ可能です。
松山市駅三津駅 伊予鉄道高浜線 約20分
大人310円 小人160円
時刻表など詳しくはこちら<外部リンク>
三津駅三津浜港 徒歩 約15分
三津駅から徒歩約15分
松山市駅高浜駅 伊予鉄道高浜線 21分 大人430円 小人220円
時刻表など詳しくはこちら<外部リンク>
農漁業体験メニュー
海の幸、山の幸の収穫体験!
自然体験メニュー
島を遊びつくすメニュー!
食文化体験メニュー
島グルメを堪能しよう
文化・創作体験メニュー
写真展やスポーツイベントも
しまの詳細