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JR松山駅付近高架化完成記念式典知事あいさつ
日時:令和6年9月29日(日曜日)9時30分
場所:JR松山駅 新駅舎
JR松山駅の高架化完成式典の開催に当たりまして主催者の一人としてごあいさつをさせていただきたいと思います。
まずは何よりも、この事業のスタートから言いますと30年という月日の中で完成を迎えました。関わられた全ての皆さん、国土交通省、JR四国、JR貨物、そして、それぞれの自治体、また、国会議員の皆さん、県会議員の皆さん、さらに地元の皆さんのご理解がなければ、これはできなかった事業でありますから、地元の協力していただいた方々、そして、いろいろ紆余曲折(うよきょくせつ)がありましたけれども、工事に携わられた皆さん、見事に完成に結び付けていただきました。関係した全ての皆さんに心から感謝を申し上げたいと思います。
もう既に当初の状況を知る人も少なくなってしまいました。おそらく、その詳細を知っているのは今日もご出席いただいていますけども関谷勝嗣先生、そしておそらく県会議員だったと思いますけども山本順三先生ぐらいかなというふうに思いますので、この機会に少し振り返りをさせていただきたいと思います。
この鉄道の連続立体交差事業は、平成2年、当時の伊賀貞行知事の頃に何回か議論は始まっていました。本格化したのは加戸前知事が就任した直後、どうしてもこれを実現したいのだと強い気持ちで臨まれたのが加戸守行さんでございました。お話を聞いて、まずはキックオフだということで、当時のJR四国の社長であった梅原さんと、加戸さんと、当時市の仕事をいただいていた私の3人でパネルディスカッションをしたのが、世に出た最初ではなかろうかというふうに思います。非常に大きなプロジェクトでありますので、それぞれの事業者が役割分担をして望まなければ完成はできないという事で、鉄道の立体交差は県が主体となり、区画整理、まちづくりは松山市が主体となってやる、というような役割分担を決めた上でスタートしたのが最初でございます。
ただ、あまりにも大きなプロジェクトですから地元の皆さんに不安が生じました。これだけの規模になると移転もかなりしなければなりませんから、「どうして」という声もありました。そもそもの目的は、東西に分断されていた松山市の状況を変える、そして陸の玄関口にふさわしい整備をする、また西側の方々がJRに乗る時は1キロ離れたところの踏切まで行って横断してこちら側にこないと乗れないという不便さを解消する、そして、これは幸いな事だったのですけども、戦時中の空襲に合わなかった西側区域。それは良かったのですが、道が狭くて消防自動車も入れない状況でございました。地域の安全という事も踏まえて区画整理をするというような事でスタートをした経緯があります。
ただ、鉄道の立体交差については、全国でもいろいろなプロジェクトが動いていた時期で、なかなか国の承認を得るのが難しい状況でありました。そこで、全国で初めての調整をしようということで、この鉄道の立体を伊予鉄道の路面電車がクロスをするという事を提案し、これが国土交通省も、これはおもしろい試みだという事で承認を得た経緯がございます。しかし、その事によって区画整理の問題がクローズアップされ、住民の皆さんの不安感は拡大してきました。これを解消するには直接の対話しかないという事で、コミュニティセンターで当時200人ぐらいの地域の皆さんが集まって、会議に臨んだ記憶がよみがえってまいります。非常に重苦しい雰囲気での会でありました。しかしその重要性、なぜやるのか、一生懸命語りかける中で、最後、2時間後には拍手を持って締めることができたという事、この地域の皆さんのご理解がなければこの事業が出来なかったことを踏まえますと、本当にあの1日というのは、貴重な瞬間ではなかったかなと、改めて感謝を申し上げたいというふうに思います。
これで、いよいよ鉄道高架事業が完成を見ました。これをぜひ今度は、松山市のまちづくりに生かしてほしいと心から願っています。先日、市長さんが思いを世に問われましたけれども、これからいろんな議論がなされていくと思います。市内電車の延伸の問題も残っていますが、これを生かして本当に陸の玄関口にふさわしい空間として、そして、さらなる松山市の発展に結びつけていただきますように、心から期待をさせていただきます。
今日は、感無量の気持ちでありますけれど、30年という月日の中でここまでたどり着いた事業でございます。改めて関わられた全ての皆さんに、心からお礼を申し上げまして、ごあいさつとさせていただきます。どうもありがとうございました。