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令和3年度退職者感謝状贈呈式知事あいさつ
日時:令和4年3月31日(木曜日) 10時30分
場所:県庁第二別館6階 大会議室
本日をもって、40年近く奉職された愛媛県を去られることになりました180名の皆さん、本当にお疲れさまでした。心からねぎらわせていただきたいと思います。
私自身は、公務員の仕事を長く務めた経験はありませんから、4年ごとに卒業しながらリセットするということを繰り返しています。そういう意味では、40年近く一つの職務に精励されて、旅立っていくという気持ちというのは自分にはわかりませんけれども、4年ごとの時でも、かなり感無量な思いをしながら歩んできましたので、40年近い足跡ともなると、その思いは私には計り知れないものがあります。
皆さんは、今おそらく、入庁した当時の初々しい新採職員としての記憶もよみがえってきているのだろうと思います。私とちょうど同世代でありますから、振り返ってみると昭和50年代後半でバブルの全盛期だったと思います。そういう時に皆さんは県庁の門をたたかれて、当時はリゾート構想など、今だったら考えられないようなことですけれども、全国で競うようにいけいけどんどんで物事が進むような時代が仕事のスタートの時点ではなかったかと思います。しかしその後はバブルが崩壊して、失われた10年などということも言われましたけれども、それまでとは真逆な状況の中で仕事をしていかなければならない環境に身を置き、またその後はさらに財政面で、愛媛県庁も財源対策用基金がもう70億円ぐらいまで低下した時期がありました。そういった中をどう切り抜けていくか、切り詰めに追われるような時代も経験されてきたと思います。
私も県の仕事11年目でございますけれども、この間は地方の時代で、これまでとは意識の異なる体制で政策立案型の行政体に脱皮していこうという呼び掛けをさせていただきました。戸惑いもあったと思います。しかしまさにこの11年の足跡の中で、中心的な役割を果たしていただいたのが、皆さんの世代でございます。
就任直後4カ月目に起こったのが東日本大震災でありました。これをきっかけに日本全体の災害に対する考え方、あるいは原子力発電に関する考え方が180度転換しました。一からやり直していくぐらいの、県庁挙げての仕事が必要になったのが、スタートの時点であります。考えてみると、その後も部局に関係なく、全庁で一丸となって対応しなければならない課題が多くありました。これは前向きでしたけども、加戸前知事時代からの宿願であった「えひめ国体」、本当に全県・全庁を挙げておもてなしの力を発揮するまたとない機会になりましたが、記憶に残るような国体に仕上げられて、そのレガシーは今も生きていると思います。そしてこの2年余り、皆さんが退職されるまでの最後の期間で苦労されたのが、コロナ対応ではなかったかと思います。これは前例が全くない、しかも部局関係なく、もちろん担当部局が中心とはいえ、全員の応援なくして対応できないという新たな課題でありました。まさにその陣頭指揮、あるいは後輩の育成、それを担っていただいたのが、ここに集いし180名の皆さん方でございます。県政の発展に大きく貢献していただいたこと、それを誇りに第二の人生に向かっていただけたらと思います。
これからも見通しのつかないような局面が待ち受けている時代に入ってまいります。国際情勢しかり、コロナを通じて大きく人の考え方が変化する、それに対する対応、デジタル化の促進、今後も経験なき課題に挑戦していくことになりますけれども、皆さんの背中を見て育った、指導を受けて育った後輩の県職員、きっと皆さんに負けずに頑張ってくれると思います。これからはOBの立場で、ぜひ後輩たちの仕事をサポートしていただけたら幸いに思っております。
最後に、これからの人生まだまだスタートしたばかり、明日からがまさに緒に就くということになろうかと思います。環境の変化というのは健康面に気を付けなければなりません。十分に体調管理だけは気を付けられて、人生まだまだ長いですから、それぞれの道でさらなるご活躍をされることを心からご期待申し上げまして、ねぎらいの言葉とさせていただきます。長年にわたって本当にお疲れさまでした。ありがとうございました。