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三園長の国会証言
第12回国会 参議院厚生委員会会議録より(昭和26年11月)
林芳信(当時多摩全生園園長)
我々が推定いたしますと、大体一万五千の患者が全国に散在して、そのうちただ今は約九千名の患者が療養所に収容されておりますから、まだ六千名の患者が療養所以外に未収容のまま散在しておるように思われます。速やかにこういう未収用の患者を療養所に収容するように療養施設を拡張していかねばなりませんが、らい療養所を新たに創設するということは、いろいろ困難が伴いますので大体既設の療養所を拡張していくほうが国家的には得策ではないかとかように考えている次第でございます。
ついでに将来らい患者の収容に対する問題でございますが、これにつきましては在宅患者に十分らいそのものの知識、また療養所の現在の状態、それらのことを十分認識せしめ、すなわち啓蒙活動が非常に必要でございます。一方、又患者が療養所に入所いたしましても、家族のものが生活に差支えないようにというふうに国家が家族の生活を保障するということが非常に大切でございます。病気の性質上その家族から患者が出たということが世間に知れますとうと家族が非常な窮地に陥りますので、世間にあまり知れないような方法において家族を救済するということも、生活を保障するということも必要だと思います。
らい予防法はもうすでに制定になりましてから44年を経過しております古いものでございますし、時勢に適合するように適当に改正されることが至当であろうと考えます。
次に国立らい研究所設置の問題でございますが、これは非常に必要なことでございます。らいの研究は他の結核その他の研究に比しまして非常に困難でございまして、その根本でありますところのらい菌培養とか、あるいは動物実験というようなものもまだ成功しておりません。あるいはまた疫学的のこと、あるいはまた体質方面の研究とか、薬理学的研究のこと、あるいは生理学的研究のこと、いろいろ残された問題が実にたくさんあるのでありまして、是非これは国家が研究所を設置されまして、十分な研究がとげられますように、これは単に日本の医学の問題ではなくて、世界に貢献するところが非常に多いと存じます。
病名の変更については、アメリカでは相当ハンセン氏病としたらいいじゃないかという議論があります。キューバのハバナで万国大会が開かれましたときにもそういうことがありました。しかし結局は、ああらい病のことだなということになりますと、元の通りになりはしないかと思いますが、学会あたりで諸学者の意見をきいた上で採用するならば採用したらどうかと思います。
収容の問題でありますが、近来お陰様にて逃走の患者が非常に減少しております。やはり療養所の中の改善がだんだん行われてきたことに原因すると思います。なお一層患者を落着かせしめるには療養所のすべてのことに、住居の問題とか、その他文化的方面にも一層改善を加えたならば、患者は落ち着いて療養すると思います。それからまたそういう設備ができましたら、家族のものに一応療養所の視察をさせて、そうして、家族にも納得させますれば、案外入所を希望するようになると思います。
光田健輔(当時愛生園園長)
未収容患者が二千人残っている厚生省の統計はいっておられますが、詮索すると余計にあるかも分かりません。その残っている患者を早く収容しなければなりませんけれども、これに応じない者がたくさんあります。そのような者に強制的に、このらい患者を収容するということが、今のところでははなはだそのようなところまで至っていないのであります。この点については特に法律の改正というようなことも必要でありましょう。強権を発動させるということでなければ何年経っても、同じことを繰り返すようなことになって、家庭内伝染は決してやまない。手錠でもはめてから捕らまえて強制的に入れればいいのですけれども、ちょっと知識階級になりますとなんとかかんとか逃げるのです。そのような者はどうしても収容しなければならんという、強制のもう少し強い法律にして頂かんと駄目だと思います。
治療も必要でありますが、私どもまずその幼児の感染を防ぐためらい家族のステルザチョンということも勧めてやらす方がよろしいと思います。らい予防のため優生手術ということは、保健所あたりにもう少し、しっかりやってもらいたいと考えております。
それで患者の逃走ということですね。これは何ぼ入れてもですね。その網の目をくぐって逃走するのでございますから、私どもは、逃走しないようにですね、長島というところは海の中にあって、どこへでも船でゆかねばならんようにしている。ところが船を買収しまして、今では千円、二千円ほど漁夫にやって向こうへ逃げていくようなわけです。そういうものはですね、逃走罪という一つの体刑を科するかですね。そういうようなことができれば他の患者の警戒にもなるのであるし、今度は刑務所もできたのでありますから、逃走罪というような罰則が一つほしいのであります。これは一人を防いで多数の逃走者を改心させるというようなことになるのですから、それができぬものでしょうか。
病名をハンセン氏病と日本で変えるということについては、子供みたいな話ではないかと、私どもは考えるのであります。
それからも一つ予防上から申しておくのは、所の中に民主主義を誤解して、患者が相互に自分の党を増やすということで争っているところがありますし、それは遺憾なことで患者が互いにいがみ合っているようなことになっております。これは患者の心得違いでありまして、そのためにそこの従業員が落ち着いて仕事ができない。結局は患者の不幸になって参ります。もう少し法を改正して逃走の防止ということにしなければ、不心得な分子が院内の治安を乱しますから、十分法の改正すべきところはして頂きたいと、以上でございます。
宮崎松記(当時恵楓園園長)
患者の数と申しますのは、衛生当局が努力すればするだけ出て参るのであります。数の少ないところはそれだけしかないかというと、私はそうばかりは考えていないのでありまして、らいの数を出しますことは古畳を叩くようなものでありまして、叩くほど出て参ります。出てこないのは叩かないだけのことで、徹底的に叩けばもっと出てくるのではないかと思います。九州ではどのくらいの収容をしなければならない患者があるかとのことですが、登録してある未収容患者は九百九名でありまして、各衛生部の推計いたしました数は千七百六十七名となっております。
一方、収容が徹底して参りますと、沈殿患者となって参りまして、だんだんと底に沈んだのを汲み上げていかねばならなくなりますから、今までに経験したことのないいろいろの困難が予想されます。かい患者の収容のいかに困難なものであるかという例を申し上げますと、熊本県某村で起こった事件でありまして、収容の通知を受けた患者が、自分がらいであることがわかったのは、衛生主任が県に報告したからだと逆恨みいたしまして、一家謀殺を企ててダイナマイトをその衛生主任の家にぶちこんだのであります。こういうことがありまして、いわゆるらいのフィールド・ワークというものは、なかなか普通の事務的な仕事ではできませんで、相当強い信念と熱意をもっていなければできないのであります。
せっかくこれだけの苦心と多額の経費を使いまして送ってきた患者が、十人が十人とも療養所で落ち着けばいいですが、十人に一人、二十人に一人脱走してしまう。
患者のいわゆる自由主義のはき違いで、らい患者といえども拘束を受けるいわれはない。自由に出歩いても何ら咎めるべきではない。結核患者を見ろ、同じ伝染病で結核患者は自由に出歩くことができるのに、らい患者が出歩いていけないことはないというようなことを申す状態であります。何故にらいは隔離しなければならないか、結核は隔離しなくてもいいか、ということの根本問題をはっきりして、患者がかように申し参りましても、こういう方針だと私ども確信をもって断行できるような理論の裏付けをして頂きたいと思います。
現行の法律では、私どもは徹底した収容はできないと思っております。今の法によりますともちろん罰則はついておりませんし、いわゆる物理的な力を加えてこれを無理に引っ張ってくるということは許されませんし、結局本人が頑強に入所を拒否した場合にはできない。手を拱いてみておらなければならない。いくら施設を拡充されましても、沈殿患者がいつまでも入らないということになればらいの予防はいつまでも徹底いたしませんので、この際本人の意志に反して収容できるような法の改正ですか、そういうことをして頂きたいと思います。結局私どもは現在の法律ではどうしてもやれませんから、検事正と話をいたしまして、実はこうこうだ、検事正も今の予防法では、あれは本人の意志に反して無理に入れるということは私どもできないと解する。しかし実際はそれをやらなければならないのだから、万一これに関連して事件が起こったら、検事正として前以てそういう了解を持っているから、一つ心配なくやってくれ、それから警察隊長も、国警の隊長もいやそれは事情はわかっていますから、もし万一問題が起こっても適当に処理しますから、やってくださいというだけでやっておるのであって、これはそういうことではなくて、私どもは何らそういう心配なくやれるようにしていただけませんとらい予防の徹底は今の時代におきましてはできない。最終段階に来ておりますから、従来の場合とは違いますから、従いまして法の改正もそれに即応するような法を作って頂かねば無理だと思います。現在のらい療養所も、まだ十分病院の形を整えませんで、むしろ一部収容所の感があります。それと申しますのは、今らい療養所の運営の大部分を患者の精神的、肉体的の協力に依存しているような現状でありまして、実際の運営面に患者が大部分関与しておりますので、遺憾ながら運営の実権を患者に握られておりまして、施設の運営上この点が致命的な欠陥となっております。
らい研究所の性格、内容につきまして私はらいのような複雑な問題の解決は、単なる医学的な研究だけで解決できない。それに付随して起こります社会問題を同時に徹底的に研究しなければならない。従ってもしおつくりになるとすれば、その研究所が当然文化科学的な面も含めました、らい問題の文化科学的、社会事業的な研究もしていただきたい。そうして両々相俟ってらい問題の根本的解決の基盤を提供するということにして頂きたい。らいの隔離根本理念などももう少し文化科学的に研究していただく必要があると考えております。
それから名称変更の問題がありますが、アメリカではすでにハンセン氏病というように一般に申しております。らいに対しましては昔から宗教的、迷信的な偏見がつきまとっておりまして、天刑病だとか、業病、遺伝だとか、不治だとかいうような特殊な考え方が一般に支配的になっております。患者自身の苦痛は、病気による肉体的苦痛だけではございません。らいの悲劇はすべてここに胚胎しておりますのでこのような偏見を除去いたしまして、らいを一般に、社会的に認識せしめまして、こういった重圧をとってやることもらい問題解決の大きな役割だと考えております。